なぜ隅田川花火大会に100万人集まったと分かるのか?人数カウントの意味と舞台裏

花火大会の夜、人混みを前にカウンターを持つ人物と「93万人」の文字
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花火よりも難題 ── 大量の動く人間をどうやって数えるのか?

お祭り、パレード、花火大会、そしてデモ行進──
街中で行われるこうした大規模イベントでは、毎年のように「今年は○○万人が訪れました」と報じられます。
その数字を目にするたびに、つい「へえ、そんなに?」と驚かされますが、ふと、こんな疑問が頭をよぎりませんか。

── でも、それって、どうやって数えてるの?

たとえば、隅田川花火大会。
これまで「来場者100万人」と言われることが多かったこのイベントも、
2025年の公式発表では93万人とされています。

もちろん、そのスケールには圧倒されます。
でも同時に、あの雑踏のなかで、いったい誰がどうやってそんな人数を把握しているのか、不思議に思いませんか?

人は移動します。立ち止まったり、途中で帰ったり、屋台の裏からこっそり見たりもします。
数えるにはあまりにも不規則で、あまりにも自由。
そんな空間で、93万人という数字がどう導き出されているのか。

実はそのカウント方法、驚くほどアナログで、驚くほど人間くさいのです。

この記事では、隅田川花火大会を例にとりながら、街頭イベントの“来場者数”がどうやって割り出されているのか、その舞台裏をひもといていきます。

誰がどうやって数えるのか

観客としてカウントされるのは、交通規制が敷かれたエリア内にいた人たちです。
この区域が、いわば「花火大会の来場者」として公式に認定される範囲ということになります。
つまり、エリア外の飲食店やマンションの窓から見物していた人たちは ── たとえどんなに盛り上がっていたとしても ── 残念ながらその対象には含まれません。

隅田川沿いの台東区と墨田区にまたがる交通規制区域を示した地図。赤枠で規制エリアが囲まれている。
当日は、赤枠内の区域で大規模な交通規制が実施されます。この赤枠内にいる人たちだけが来場者と見なされ、人数カウントに含められます。

このエリア内に、墨田区だけで23か所の定点観測ポイントが設けられます。
そこに配置されるのは、区の職員たち。
彼らが頼るのは、測定器でもAIでもなく、自分たちの目。
それがすべてです。

まず行うのは、「1平方メートルに何人いるか?」という密度の目測です。
混み合っていれば1㎡あたり4~5人、ゆったりしていれば2人程度。
その密度に観測範囲の面積を掛け合わせることで、1ポイントあたりの「おおよその人数」が割り出されます。

この測定は、夕方17時から夜の20時半までのあいだに、複数回繰り返されます。
人の流れは刻一刻と変わるため、一度の測定で終わりにはできないのです。

こうして各観測地点で導き出された人数を、墨田区・台東区・中央区の3つの区がそれぞれ合計し、最後にその数値をすべて足し合わせたものが、「来場者数」として公式に発表される数字になります。

喧騒のなか、静かに人を数え続ける人たちがいる。
93万人という数は、目立たぬ現場の仕事が丁寧に積み上げた結果なのです。

重複しても漏れても、それでも「だいたい」でいい

当然ながら、目測による人数カウントには正確さという点では限界があります。
同じ場所に座って長時間観覧していた人は、何度も測定されるうちに複数回カウントされるかもしれません。
逆に、建物の屋上や屋形船の上から見ていた人たちは、まるごとカウントされていない可能性もあります。

さらに、人の密度を見て「1平方メートルに3人くらい」と判断するのも、所詮は目分量。
観測者ごとにブレもありますし、夕暮れ時や混雑のなかでは、見落としも起きるでしょう。

それでも、なぜこの方法が受け入れられているのか──
答えは案外シンプルです。

これは「正確な人数」を知るための作業ではなく、「だいたいの規模感」を共有するための儀式だからです。
数字そのものよりも、前年との比較や報道における象徴性、そして「大勢の人が来たんだ」という実感を支える“物語の数字”として機能しているのです。

観客数は、イベントの熱量を数字に変換したもの。
その数字が多少ズレていても、人の熱気と雑踏の気配だけは、きっと間違いなく伝えているはずです。

手にカウンターを持つ人物と、背後で楽しげにすれ違う人々のイラスト
数字は大切。でも、それ以上に伝えたいものがある。

最新のカウント術:ドローンか、スマホか、それとも…

AIやドローンの進化が話題になると、「ああ、もう人間が人間を数える時代じゃないな」と思わされます。
そして実際、街頭イベントの来場者数も、今やテクノロジーの力でかなり正確に推計できるようになっています。

たとえば、スマートフォンの位置情報をもとにした「人流データ」
これを使えば、「どこに、どれくらいの人数が、どのくらい滞在したか」が、地図上でほぼリアルタイムに可視化されます。
もちろん、個人情報は伏せられたままですので、匿名性も守られています。

また、画像解析AIも進化しており、上空から撮影された写真や映像から、人の密度を自動的にカウントすることもできます。
ドローンで撮影し、AIで分析し、クラウドで集計。
── これで、ほぼ人間はいらなくなります。
数字だけを求めるならば、です。

群衆を手作業で数える人と、AIが画像解析でカウントするモニター画面の対比イラスト
今も「人の目」で数えているという現実。技術はますます進歩している。

では、なぜ隅田川花火大会では、今もなお、人力カウントという、どこか懐かしい作業を、わざわざ続けているのでしょうか。

理由のひとつは、費用と運用の現実性です。
人手による目測にも、もちろんコストはかかります。
区の職員を大勢動員するわけですから、それなりの労力と準備が必要です。
それでも、特別な機器を導入せずに運用できるという点では、自治体にとっては取り組みやすい方法です。

加えて、同じ手法を毎年繰り返しているからこそ、過去との比較や傾向の把握がしやすいという利点もあります。

もうひとつの理由は、おそらく「これで十分」だからでしょう。

来場者数は、完璧な統計としてではなく、あくまで社会的な目安として発表されるものです。
100万人か93万人かの議論より、「たくさん来て大いににぎわった」が伝わることのほうが、大切なのかもしれません。

人が集まり、にぎわいが生まれ、その手応えを数字に変える。
その役目を果たすのであれば、カウントの方法は多少クラシックでも構わない──
そんな暗黙の了解が、今も現場には流れているようです。

「だいたい100万人」の先にあるもの

93万人か、それとも100万人か──
その違いにこだわる人は、そんなに多くはないでしょう。
それでも主催者が毎年、人の波を見つめ、数字をはじき出すのは、数字を割り出すこと自体に、意味があるからではないでしょうか。

正確ではない。
というより、そもそも正確な数字を知るなど最初から無理だと、私たちは薄々わかっています。
それでも、人が集まり、街が熱を帯びたあの時間を、「だいたいの数字」に置き換えることで、この一夜の出来事を記憶にとどめようとするのです。

「93万人」という数字は、たとえるなら──
「隅田川花火大会」というメインタイトルに添えられた、サブタイトルのようなもの。
その数字をきっかけに、誰かがまた、「あの年の花火はね」と語りはじめる。
そんな想い出の糸口のような役目を、この数字は果たしているのかもしれません。

参考文献・出典一覧

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この記事を書いた人

「世界はなぜでできている」編集長兼コンテンツライター。
日本の歴史・文化のナビゲーター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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