なぜエスカレーターの立ち位置は、関東は左、関西は右なのか?

駅構内のエスカレーターを上り下りする人々の様子(俯瞰)
目次

なぜ、エスカレーターの立ち位置は関東と関西で違うのか?

東京ではエスカレーターに乗ると、左側に立つのが当たり前。
ところが大阪では、右側に立つのが普通とされています。
旅行や出張でその違いに戸惑った経験のある方も多いのではないでしょうか。

「関東=左」「関西=右」と覚えている人もいますが、「西日本は全部が右立ち」と思い込んでいるなら、少し注意が必要です。

実は、立ち位置には地域ごとの傾向がある一方で、単純な東西の違いでは説明できない、少し複雑な背景があるのです。

この記事では、地理調査を行った福盛貴弘氏や、文化社会学者・斗鬼正一氏の研究を手がかりに、エスカレーターの立ち位置が地域によってどう分かれ、なぜそのような違いが生まれたのかをひもといていきます。

関東は左立ち、関西は右立ちは本当?

全国のJR主要駅や空港を対象に、福盛貴弘氏が行ったヒアリング調査によれば、関東地方の1都6県では左立ちが広く定着していることがわかりました。

一方、関西地方では大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山で右立ちが主流とされています。
つまり、「関東=左立ち、関西=右立ち」というよく聞くイメージは、ある程度実態と一致しているといえるでしょう。

ただし、すべてがそう単純ではありません。
福盛氏は、調査対象の駅や空港のうち「特に決まっていない」と回答した例が予想以上に多かった点にも注目しています。

  • 左立ち:56件(約31%)
  • 右立ち:15件(約8%)
  • 特に決まっていない:55件(約31%)

この結果から見えてくるのは、「東日本=左、⻄日本=右」という区分では説明がつかないということです。

より現実的なのは、「関東=左」「関西=右」「それ以外=右立ちはほとんどない、決まっていないところも多い」という三分法でしょう。

しかも、関西でも例外はあります。
たとえば、滋賀県では左立ちが主流。
京都市内でも地域によって右立ち・左立ちが混在しています。
中部地方では、名古屋は左立ち、三重は右立ち傾向と、交通圏の違いによって慣習が分かれるようです。

関東と関西で、なぜ分かれたのか?

まず知っておきたいのは、「片側を空ける」というマナーが、日本人の暮らしに最初から根づいていたものではないということです。

明治以降、西洋に学びながら、日本人は“近代国家の国民としてどう振る舞うか”を自問し続けてきました
その答えのひとつが、公共空間でのこうした振る舞いを形作っていきました。

つまり、片側を空けることで、急ぐ人に道を譲る。
それをマナーと考え、“文明的”と考えた当時の空気が、今につながっています。

そのうえで、左右どちらを空けるかという違いが明確になったのは1970年前後と言われています。

関西では、阪急電鉄が梅田駅で「左側をお空けください」とアナウンスを始めたのが転機でした。
この時期に開かれた大阪万博には、当時としては異例の170万人もの外国人が来場。
ロンドンやパリと同様に、「右立ち・左空け」が国際的な標準とされ、それを受け入れた関西では右側に立つ習慣が定着していきます。

一方、関東にはそれほど明確なきっかけはありませんでした。
駅構造の多くが左側通行に沿って設計されていたことや、日本社会全体に根づく「左側通行の原則」に従い、自然と左側に立つスタイルが広がっていきました。

つまり、同じ「片側空け」という欧米的マナーを受け入れながらも、関西では“万博という国際接点”が選択を決定づけ、関東では“国内の慣性”が方向を定めたのです。

こうして左右の差は固定化され、今に至るまで、東西で異なる“日常の風景”として受け継がれてきたのです。

海外ではどうなのか?

エスカレーターの立ち位置マナーは、日本だけの話ではありません。

たとえばロンドンでは、「Stand on the right(右側に立って)」という表示が駅構内にあり、アナウンスでも繰り返し呼びかけられています。
この慣習は100年以上前から続くとされ、現在でもロンドンっ子の間にしっかり根づいています。

ロンドンのエスカレーターに書かれた「Stand on the right」の注意書き
ロンドンの地下鉄では、右側に立ち左側を歩くのが常識。ステップにはそのマナーが直接ペイントされています。

パリやベルリン、ニューヨークなどでも「右立ち・左空け」が主流。
アメリカでは地域差があるものの、大都市ではこのスタイルが広く見られます。

アジアでも、北京や上海、台北では右立ちが基本。
ロシア・モスクワは例外で、「左立ち・右空け」の慣習が関東と同様に見られます。
これは旧ソ連時代の運用ルールの名残といわれています。

こうして見ると、関西型の右立ちの方が、やはり「国際標準」に近いと言えそうです。
一方で、左側通行の文化と親和性の高い関東型も、日本らしい慣習として注目に値します。

片側空けの将来──「マナー」は誰のためにあるのか

もともと利便性の象徴だった「片側空け」ですが、今その前提が揺らぎ始めています。
きっかけは、現場からの静かな異議申し立てでした。

日本エレベーター協会によれば、エスカレーター事故の多くは、歩行中のバランス崩れや接触によるものです。
転倒すれば、最も危険なのは高齢者や身体に不自由のある方。
マナーの名を借りた急ぎ足が、誰かの移動の自由を奪っている――
そんな現実が、少しずつ知られるようになってきたのです。

さらには、構造計画研究所による実験も意外なものでした。
片側を空けて歩くよりも、両側に立ち止まって乗ったほうが、全体の移動速度も人数の処理効率も上がるというのです。
目の前の1秒を急ぐあまり、社会全体の流れを滞らせていた。
その事実は、私たちの“合理性”が、実は感覚の幻想だったことを教えてくれます。

こうした背景を受けて、2010年代後半から鉄道各社は「歩かず、2列で乗る」ことを呼びかけ始めました。
駅の表示もアナウンスも変わりつつあります。

エスカレーター前に設置された安全注意表示と乗降禁止マーク
「歩かない」「手すりにおつかまりください」など、安全な利用を促す床面表示。

とはいえ、現実はなかなか変わりません。
「誰かが歩いてくるかもしれないから」
「誰かに文句を言われたくないから」

今となってはそんな空気が、人々を右に、あるいは左に寄せたままにしているようです。
このささやかな習慣が、「マナーは誰のためにあるのか」を私たちに問いかけているようにも感じます。

その一歩に、社会が映る

東京では左、大阪では右。
この違いには、都市が積み重ねてきた文化と、外国との係わりの中でアイデンティティを模索してきた日本人の姿が反映されています。

国際的視線が導いた関西の右立ち。
日常の延長で育った関東の左立ち。
時代が求めた”振る舞い方”が形になり、それぞれ独自の風景を描いてきました。

そして今、事故のリスクや混雑を前に、いつもの「当たり前」が揺らぎ始めています。

ふだん何気なく乗っているエスカレーター。
その一歩には、これまでの選択と、これからに対する問いかけが、静かに重なっているようです。

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