なぜ「梅雨」と書いて「つゆ」と読むのか?

雨粒に濡れた緑の葉と、葉の上を這うカタツムリの写真
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なぜ「梅雨」と書いて「つゆ」と読むのか?

6月、空がどんより曇り、湿気が肌にまとわりつくようになると、人は言います。
「そろそろ梅雨入りですね」と。
季節の変わり目を告げる合図であり、どこか気分を沈ませる響きでもあります。

けれど、「梅雨(つゆ)」という文字に、違和感を覚えたことはないでしょうか。
どう見ても「ばいう」と読むのが自然に思えます。

実際、この語は中国から伝わってきたものですが、日本語における正式な音読みは「ばいう」です。
でも、いつしか日常では「つゆ」と言い習わされるようになり、「ばいう」は天気予報など、公式な場面へと押しやられていきました。

では、なぜ「つゆ」と読むようになったのでしょうか。
その背景には、外来の文字に自分たちの音や情緒を重ねていく──
先人たちのしなやかな感性がにじんでいるように思えます。

「黴雨」から「梅雨」へ──美意識、カビを退ける

まずは本場・中国での変遷を見てみましょう。
古代中国では、6月ごろの長雨を「黴雨(メイユー)」と呼びました。
「黴」とは、あの“かび”のこと。
湿気に悩まされる日々の感覚が、そのまま名づけに表れていたのです。

とはいえ、字というもの、意味が正しくても見た目がよろしくないと敬遠される。
そこで中国人が選んだのは、音はそのままに、字面を美しくする方法でした。

「黴」と「梅」はどちらも méi(メイ)と発音します。
ならば、せっかくなら芳しいほうを。

しかも、ちょうど梅の実が熟す時期。季節の気配にもぴたりと合っていました。
唐の太宗・李世民の詩にもこんな一節があります。

「梅雨潤芳田」──梅雨が芳しい田を潤す。

7世紀にはすでに「梅雨(メイユー)」の字が詩に使われていたことがわかります。

筆文字の古詩と梅の実を重ねた画像。「黴雨」から「梅雨」への漢字表記の変化を象徴
カビの「黴」から、花咲く「梅」へ。季節を言葉で美しく装い直した、中国古代の知恵

とはいえ、その後も「黴雨(霉雨)」という表記は残ります。
たとえば、16世紀の中国の薬学書『本草綱目』には、

「梅雨、あるいは霉雨という。衣や物を濡らし、皆、黒霉を生ず。」

と記されています。

どうやら中国では、品格や場面に応じて、この2つを使い分けていったようです。

「梅雨」という言葉がやってきた──長雨から、ばいうへ

日本に「梅雨」という語が入るまで、この季節の雨には別の名前がありました。
「長雨」「五月雨(さみだれ)」──いずれも旧暦5月(今の6月ごろ)の雨を指し、
万葉集や古今和歌集にもたびたび詠まれています。

とくに「五月雨」は、和歌の中で風雅な“雅語”として大切にされてきました。
そこに登場したのが、漢語としての「梅雨」です。

平安期の詩文集『和漢朗詠集』には、すでに「梅雨」の語が見えます。

「謝雨 梅雨霽而陽和布」──梅雨が晴れて、陽光が広がる恵みの雨に感謝する詩。

このことから、「梅雨」は少なくとも宮廷の書き言葉としては定着していたと考えられます。

奈良・平安時代の詩文が書かれた巻物と、しとしと降る雨の水面を組み合わせた画像
巻物に記された詩文と雨の水面。中国から伝わった「梅雨」が、日本語の世界に静かに溶け込んでいく。

ちなみに「梅雨」は中国語で méiyǔ(メイユー)と発音されますが、なぜか日本では「ばいう」。
“音が変わるのも、文化が越境する醍醐味のひとつ”──メイユーがバイウに化けたとしても、誰も文句は言いません。

ただ、これが日本人の暮らしに根づくのはもう少し先のこと。
江戸時代、俳諧が広がるにつれて「梅雨」は季語として親しまれるようになりました。
「五月雨」が風雅をまとった言葉なら、「梅雨」は長屋の雨戸にも似合う言葉になっていったのです。

「つゆ」と呼ぶようになったわけ──日本語の耳が選んだ音

さて、前置きが長くなりましたが、ここからがこの記事の本題です。
「ばいう」ではなく「つゆ」と呼ぶようになったのはなぜか。
この由来にはいくつかの説があります。

◎「露(つゆ)」説

「つゆ」と聞いて、まず浮かぶのは朝露。草の葉先に宿るその一滴。
梅雨どきの空気とどこか通じる儚さがあります。
「ばいう」では、少し情緒が足りなかったということでしょうか。

◎「潰ゆ(ついゆ)」説

古語「潰ゆ」は、熟した実が湿気で崩れるさまを表します。
この時期、落ちた梅の実が地面でつぶれる──そんな日常の光景が、音の選択につながったのかもしれません。

◎「栗花落(つゆり)」説

「栗花落(つゆり)」は、栗の花が散るころを指す古語。
ちょうど梅雨の時期と重なり、音が縮まって「つゆ」になったという説もあります。

朝露、潰れた梅の実、地面に落ちた栗の花の三景を並べた画像。梅雨の語源に関する三説を象徴的に示す構成。
露のきらめき、熟した梅の実、そして栗の花。いずれも「つゆ」と呼ばれるようになった由来と深く結びついています。

決め手はありません。けれど共通するのは、
意味よりも音の響きに情緒を見出す、日本語らしい感性です。

「つゆ」とは、「梅雨」に出会った日本語の、ひとつの答え方だったのでしょう。

雨とともに言葉も育つ

黴雨から梅雨へ。
そして、ばいうから、つゆへ。
季節の名前も、時代とともに少しずつ形を変えてきました。

「梅雨」は、もともと外から来た言葉。
でも、「つゆ」と呼ぶことで、日本語はそれを、自分たちの感覚に引き寄せていったのです。

ジメジメした空気も、足元のぬかるみも、
「つゆ」と呼べば、少しだけ許せる。
この言葉を選んだ先人たちの、そんな想いがにじんでいる気もします。

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