なぜ「浅草」は「あさくさ」なのに、「浅草寺」は「せんそうじ」と読むのか?

浅草寺の本堂に向かって参道を歩く人々。青空の下に広がる歴史ある風景。
目次

なぜ、あさくさに「せんそうじ」があるのか?

東京・浅草の中心にある「浅草寺」。
観光地として名高いこの寺の名前は、「あさくさでら」ではなく「せんそうじ」と読みます。
一方、すぐ隣にある「浅草神社」は「あさくさじんじゃ」。
つまり、同じ「浅草」という漢字を使っていても、音読みの場合もあれば訓読みの場合もあるのです。

どうして地名は「あさくさ」、寺は「せんそうじ」、神社はまた「あさくさじんじゃ」なのでしょうか?

この背景には、外来文化である漢字や仏教との付き合い方、日本人の柔軟な受容のあり方が重なっています。

音読みと訓読み──日本語が漢字をどう取り込んだか

まず、日本語における漢字の基本的な仕組みを確認しておきましょう。
漢字には、「音読み」と「訓読み」という2種類の読み方があります。

音読みとは、漢字が中国から伝わったときの中国語の発音を、そのまま日本語に取り入れたものです。
たとえば「明」という漢字は「メイ」や「ミョウ」と読みますが、これが音読みです。
英語の「bright」を「ブライト」とそのまま発音するようなものと考えると、イメージしやすいかもしれません。

一方、訓読みは、漢字の意味に合う日本語の言葉をあてた読み方です。
つまり「明」を「あかるい」と読むのが訓読みで、これは「bright」という単語の意味を日本語に訳して、「明るい」という言葉を当てるような感覚です。

漢文に訓点が施された古文書の見開き。古代中国の印刷書籍の一例。
中国伝来の漢文に、ふりがなや記号で読み下しを加えた訓点資料。日本語が漢字をどう読みこなしてきたかを示す貴重な証拠です。

こうした二重の読み方は、日本人が漢字という外来の文字を、自国の言葉に柔軟に取り込もうとした工夫のあらわれです。

 音読みは主に、仏教や法律など新たに伝来した概念を表す書き言葉として定着しました。
一方訓読みは、それ以前から日本にあった言葉や感情に寄り添う読み方です。
話し言葉や、暮らしに根ざした表現として定着していきました。

今でいえば、「自家用車」と「マイカー」を場面に応じて自然に使い分けるような、日本語特有の柔軟さに通じているとも言えるでしょう。

なぜ寺の名前は音読みなのか?

こうした読み分けの背景は、私たちの身近な地名と寺院名にも見て取れます。
たとえば、浅草と浅草寺の読み方の違いにも、それが反映されています。

「浅草」という地名は、古くからの日本語に由来し、「あさくさ」と訓読みされます。
一方、仏教は中国やインドから伝来した外来の宗教であり、仏教と深い関連のある寺の名前も、当初は漢語に基づいた表現が多く使われました。
そのため、寺の名前には音読みが定着していったのです。

たとえば、「東大寺(とうだいじ)」「金閣寺(きんかくじ)」「増上寺(ぞうじょうじ)」など、どれも音読みで呼ばれています。
浅草寺が「せんそうじ」と読まれるのも、こうした文脈の中で自然に成立したものでした。

なぜ神社の名前に訓読みが多いのか?

一方、神社の多くは「靖国(やすくに)神社」「出雲(いずも)大社」「鹿島(かしま)神宮」のように、訓読みで読まれます。

これは神社が、日本古来の信仰や土地の神をまつる場所であることと関係しています。
その土地の地名や風土との結びつきが強いため、日本語の訓読みで呼ばれる傾向が強いのです。

つまり、「寺=外来文化=音読み」「神社・地名=在来信仰・日本固有の文化=訓読み」という構図が、読み方に反映されているといえるわけです。

訓読みの寺はどうして生まれたの?

ところが、すべての寺が音読みというわけではありません。
たとえば、清水寺(きよみずでら)、鞍馬寺(くらまでら)、善峯寺(よしみねでら)などは、訓読みです。

こうした寺も、創建当初は音読みで呼ばれていた記録があります。
たとえば、京都の清水寺は、室町時代の謡曲では「せいすいじ」と音読みされていたようです。
しかし、境内にある「音羽の滝」の清らかな水にちなむ「きよみず」という呼び方が、地元の人々の間で親しまれ、次第に訓読みが定着していったのです。

京都・清水寺の本堂「清水の舞台」。木造の懸造り構造と緑に囲まれた景観。
京都・清水寺は、かつて「せいすいじ」と音読みされることもありましたが、「きよみずでら」という訓読みが、地元の人々の暮らしの中で親しまれ、次第に定着していったと言われています。

同じく京都の鞍馬寺や善峯寺も、当初は音読みが使われていた形跡がありますが、土地の伝承や人々の語りの中で訓読みへと変化していきました。

このように、地元の人々が日々の暮らしの中で呼び続けた名前が、最終的に「正しい」読み方として定着していく――それが日本語における「読み方の文化」なのです。

「あさくさ」と「せんそうじ」──読み方に刻まれた遠い時代の記憶

「せんそうじ」という呼び方は、地名と違うからといって間違いではありません。
それは仏教という外来文化を、音読みというかたちで取り入れた名残であり、同時に「日本語」という器にそれを受け入れてきた私たちの言葉の知恵でもあります。

日本語の読み方には、歴史、宗教、文化、そして人々の暮らしの記憶が刻まれています。

次に浅草を訪れるときは、「あさくさ」と「せんそうじ」――その響きの奥にある、静かな文化の対話に耳を澄ませてみてください。

参考文献・出典一覧

Xで発信

📣 最新情報はX(旧Twitter)でも発信中!
Xでフォローする @nazeproject

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次