なぜ同じ日本人なのに、世代によってチャイムの音が違うのか?~太鼓からキンコンカンコン、そして静寂へ 音でたどる学校の130年~

朝日が差し込む静かな学校の廊下と教室、誰もいない木造校舎の風景
目次

「キンコンカンコン」を知らない子どもたち

「キンコンカンコン」が聞こえない学校が、少しずつ増えています。

チャイムがない?
では、授業はどうやって始まり、どうやって終わるのか。
そう疑問に思うのは、昭和や平成の学校で育った世代でしょう。

私たちは、あの音に合わせて教室に入り、席に着き、毎日のリズムを整えてきました。
チャイムは単に時間を知らせるだけでなく、学校という空間に秩序と区切りを与える存在でもあったのです。

ところが近年、一部の学校ではチャイムを鳴らさない「ノーチャイム制」が導入され、子どもも教師も、時計を見ながら自分の判断で行動しています。

同じ日本に暮らしながら、学校での時間の過ごし方が世代によって大きく異なることに驚かされます。
そしてその違いは、単なる合図の有無ではなく、教育観そのものの変化を映し出しているのです。

最初は太鼓が鳴り、次に鐘が響き、やがて静けさが訪れる。
130年にわたる「学校の音」の変遷を、あらためてたどってみたいと思います。

チャイムの前に鳴っていたもの ── 太鼓と鐘が教えた時間

日本の学校でチャイムが鳴るようになる、ずっと以前のことです。
近代的な学校制度が始まった明治時代、時間を知らせる音は、太鼓や鐘でした。

もちろん当時は、電子機器など存在しません。
朝の登校、授業の始まり、そして終わり。
そのたびに、用務員や教師が太鼓を叩き、鐘を鳴らして校内を歩き回っていたのです。

学校は、まるで小さなお寺のようでした。
鐘の音が響けば、子どもたちは静かになり、太鼓の音が鳴れば、そろそろ教室に戻る時間。
音が動きを生み、音が秩序を保っていた時代です。

こうした「音で時間を伝える」仕組みは、学校だけのものではありませんでした。
昼になれば寺の鐘が鳴り、村では太鼓で集会が告げられる。
地域社会そのものが、音によって時を知り、行動を始めていたのです。

明治期の木造校舎の前で太鼓と鐘を鳴らす用務員と、隣に立つ寺の大鐘のイラスト
学校の時間を太鼓と鐘が知らせていた時代。その仕組みは、寺や村の生活文化と地続きだった。

明治の学校も、まさにその延長線上にありました。
時計の針ではなく、音の響きで時間を感じ取る。
それが、当時の日本人にとってごく自然な感覚だったのです。

「キンコンカンコン」の輸入 ── 戦後日本と英国の鐘

「キンコンカンコン」のチャイムが、日本の学校に初めて響いたのは、戦後間もない時代のことでした。
今ではすっかり学校の音として定着していますが、その背景には、ある一人の教師のひらめきと、遠くイギリスから届いた鐘の響きがありました。

当時、授業の開始や終了には金属製のハンドベルや半鐘が使われていました。
しかしその音は、戦時中の空襲警報に似ており、生徒や教師の間では「つらい記憶を思い出してしまう」との声が上がっていたのです。

そんな中で立ち上がったのが、東京都大田区立大森第四中学校の国語教師、井上尚美(いのうえ・しょうび)氏でした。
ある日、ラジオから流れてきたイギリスBBC放送の時報に、彼は耳を奪われます。
荘厳でありながらやさしく、胸の奥に染み入るようなメロディ。
「この音なら、生徒たちが安心して授業に向かえるかもしれない」と井上氏は感じました。

学校チャイム音

日本中の教室に響いていた、あの「キンコンカンコン」。学校の時間を優しく区切る、4音の記憶。
※音源提供:OtoLogic(https://otologic.jp)

そうして採用されたのが、のちに「キンコンカンコン」として全国に広まっていく、ウェストミンスターの鐘のメロディでした。

その音は、ロンドンのビッグベン ── イギリス国会議事堂の時計塔で時を刻んでいたものです。
さらにその起源をたどれば、18世紀末のケンブリッジ大学・グレート・セント・メアリー教会に行き着きます。

青空の下にそびえるロンドンの時計塔ビッグベンとウェストミンスター宮殿の全景
ロンドンの象徴・ビッグベン。その鐘の音は、やがて日本の教室にも響くことになる。

この鐘の旋律には、祈りの言葉が添えられていました。

All through this hour,(このひととき)
Lord be my guide.(主よ、どうか私を導いてください)
And by Thy power,(あなたの御力によって)
No foot shall slide.(わたしの足が決してつまずかぬように)

祈りのこもったこの静かな響きは、戦後の日本に、そして子どもたちの日常に、「安らぎの時間」をもたらしました。

こうして英国生まれの鐘の音は、日本の教室へと届き、「チャイム世代」と呼ぶべき世代を作り出したのです。
私たちの耳と記憶の中に、「学校の音」として深く根づいていきました。

「ノーチャイム」という静かな実験

ある日、学校からチャイムの音が消えました。
機械の故障かと思いきや、そうではありません。
それは、教育現場があえて選んだ「意図的な沈黙」だったのです。

2010年代に入り、一部の学校では「ノーチャイム制」と呼ばれる取り組みが始まりました。
目的は、子どもたちに「自分で時間を管理する力」を身につけてほしい、というものでした。

実際、導入した学校からは肯定的な声も聞かれます。
チャイムに遮られることなく集中力を保てる、授業への没頭が深まるといった効果に加え、
「そろそろ行こっか?」と子どもたちが自然に声をかけ合うことで、小さな連帯感が生まれることもあります。
静けさが、協調の芽を育てることもあるのかもしれません。

学校の廊下で腕時計を見る男の子と、談笑しながら歩く二人の女の子
チャイムの代わりに、子どもたちは時計と声を手がかりに教室へ向かう。

しかしその一方で、戸惑いや不安の声も少なくありません。
「時間を気にしすぎて、読書に集中できない」
「支援が必要な子どもが、行動の切り替えに戸惑ってしまう」
「教室に戻ってこない児童がいても、気づかれないのではないか」

そんな保護者の声も寄せられています。

時間に縛られずに動けるように、という理想が、かえって時間に追われる子どもたちを生んでしまってはいないか。
チャイムの音が消えたことで、それまで見えにくかった課題が、次第に表面化してきたのです。

今の学校には、ふたつの時間のかたちが並び立っています。
音に合わせて動く子どもと、時計を見て動く子ども。
「音で育った世代」と「無音で育つ世代」が、静かに分かれ始めているのです。

この「静かな実験」は、成功だったのでしょうか。
その答えが見えてくるのは、もう少し先のことなのかもしれません。

音がつくる共同体から、個の時間へ

昭和の子どもたちは、「同じ音」で「同じ時間」を生きていました。
チャイムが鳴れば、全国の教室が一斉に静まり、立ち上がり、移動する。
そのリズムの中で、私たちは自然と「みんなと同じ時間を過ごしている」という感覚を育んでいたのです。

けれど、令和のいま ── あの音は徐々に姿を消しつつあります。
時間は、外から与えられるものではなく、自分で刻んでいくものへと変わってきました。
静けさのなかで、自分の時計を見つめて動く力が求められているのです。

思えば、日本人の時間感覚は、ずっと「音」とともに育まれてきました。
最初は太鼓の音、次に鐘の音、そしてチャイムの音。
それは、時代ごとの「呼吸」のようなものでした。

「キンコンカンコン」は、きっとただの合図ではなかったのでしょう。
それは、私たちの心をひとつにしていた音。
音が消えたいま、私たちはどんな「時間」を生きていくのでしょうか。

参考文献・出典一覧

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この記事を書いた人

「世界はなぜでできている」編集長兼コンテンツライター。
日本の歴史・文化のナビゲーター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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