「薬」が「武器」になり、やがて「芸術」になった話
夏の夜。
夜空を見上げる人々の顔は、なぜかどこでも似ています。
目を丸くし、口を半開きにして、ひととき日常を忘れる。
花火の前では、誰もが子どもの顔に戻るのです。
けれども、その色とりどりの光を生むのは、かつて戦場を震わせた火薬。
命を奪うための爆薬が、なぜ平和な夜空で「花」となったのでしょうか。
その答えを追えば、古代中国の錬丹術師からイタリア・フィレンツェの宮廷、現代の世界の祭典まで、千年を超える人類の物語が見えてきます。
今回は、その長い旅路を駆け足でたどり、次に花火を見上げるときの視点を少し変えてみましょう。
火薬の誕生 ― 不老不死の薬から始まった物語
火薬の物語は、戦場でも軍需工場でもなく、薬棚の前で幕を開けます。
唐の時代、中国の錬丹術師(れんたんじゅつし)たちは「不老不死」を夢見て、硝石や硫黄、木炭を混ぜて実験を繰り返しました。
ところが、望んだのは永遠の命だったのに、彼らの手から生まれたのは爆発と火柱。
命を延ばすどころか、家屋を吹き飛ばしてしまった。
そんな顛末が、9世紀の道教文献に残っています。

それでも人間とは、妙に楽天的な生き物です。
「これは危ない、封印しよう」ではなく、「これは危ない、後世のためにメモしておこう」と考えた。
そのおかげで、この薬は「火薬(火の薬)」として後世に伝わることになりました。
もっとも、その始まりは、不老不死の霊薬を夢見ての、あまりにも派手な産声だったのですが。
やがて、この「火の薬」は爆竹へと姿を変えます。
悪霊を追い払う音と火花が、新年や祝い事の夜空をとどろかせ、のちの花火のきわめて素朴な原型となっていきました。
戦場から夜空へ ― 軍事技術が祝祭に転じるまで
火薬が本格的に力を見せつけた舞台は、祝祭の夜空ではなく戦場でした。
10世紀の中国では、竹筒に火薬を詰めて炎を噴き出す「火槍」や、轟音を伴って炸裂する爆弾が戦場を駆け巡ります。
13世紀になると、モンゴル軍が中国を征服し西アジアや東欧に遠征する際、大規模な火薬兵器を用いて城壁を焼き、夜空を炎で照らしました。
赤く染まった空は、歓声ではなく恐怖で人々を満たします。

それでも人間は不思議なものです。
敵を焼き払うための炎や轟音を、いつしか「人を驚かせ楽しませる道具」として使い始めます。
13〜14世紀、火薬がシルクロード経由でイスラム圏やヨーロッパへ伝わると、バグダードの宗教祭やベネチアのカーニバルで、火柱や小玉を夜空に打ち上げる試みが見られるようになりました。
戦場の武器が、市場や広場で人を笑顔にさせる演出へと転じたのです。
そして14世紀後半、イタリア・フィレンツェで初めて「鑑賞するための花火」が誕生します。
職人たちが工夫を凝らし、教会前の広場で火の尾を引く光玉を打ち上げると、人々は空を仰ぎ、恐怖の炎ではなく「美の炎」に歓声をあげました。

このフィレンツェは、近代花火発祥の地とされています。
火薬はこのとき、戦場での役割に加え、人々の目を楽しませる新しい舞台――夜空――を得たのです。
世界を駆けた火の芸術 ― 文化としての花火の定着と進化
こうして火薬は、平和の舞台でも顔を見せ始めます。
もっとも、火薬そのものが平和主義に目覚めたわけではありません。
人間のほうが、耳をつんざく轟音と眩い炎を「恐怖」から「美」へと転換したのです。
ヨーロッパでは、ルネサンス期の宮廷がこの転換の名手でした。
前述のとおり、フィレンツェやローマでは、戴冠式や結婚式の夜空に火の尾を引く光を散らし、観客のため息とともに「我が権勢ここに極まれり」と世界に誇示します。
時には、広場での花火の爆音がに群衆が驚きすぎて馬車が暴走する騒ぎも起きましたが、それも「派手な余興」の一部と受け止められたとか。
大西洋の向こう、アメリカでは花火はまったく別の意味を帯びます。
1777年、独立戦争の翌年にフィラデルフィアで打ち上げられた花火が、自由と勝利の象徴として人々の記憶に刻まれました。
中東でもまた、花火は独自の姿で定着します。
イスラム世界では、ラマダン明けの祭りや王族の婚礼の夜、爆音と光の洪水が空を満たしました。
煌びやかな灯りとともに打ち上がる花火は、神への感謝を示すと同時に、王族が人々の前でその権威を誇示するための舞台装置でもありました。
言い換えれば、「信仰と権力が手を組んだ光のショー」とも言えるでしょう。
とはいえ、それまでの花火は実のところ橙一色。
「花火」というより、「火花」と呼んだほうがしっくりきます。
夜空に上がっても、燃えさしが散るような素っ気ない光景だったのです。
しかし19世紀、イタリアの職人たちが金属塩を調合し始めると事態は一変します。
赤のストロンチウム、緑のバリウム、青の銅 ―― 化学の力で、火花は一気に花を咲かせたのです。
これにより、王侯の権勢も、自由の祝祭も、宗教の儀式も、それまでの地味な舞台を抜け出し、ようやく色彩をまといました。
「火の薬」から生まれた「爆薬」が、名実ともに「火の花」=花火へと昇華した瞬間でした。
現代の花火とその多様な舞台
戦場を焦がした火薬は、いまや世界各地で「平和の夜空」を彩ります。
ただの娯楽ではなく、自由を祝う誇らしさや、古い伝統への敬意、人々を一夜で結びつける力が息づいています。
ヨーロッパ ― 歴史と現代が交差する夜空
ロンドンのテムズ川沿いでは、大晦日、ビッグベンの鐘が鳴り終わると同時に花火が炸裂します。
ロンドン・アイや水面を背景にした光の洪水は、古い帝国の記憶を抱えつつ、新年への希望を告げます。
スコットランドの首都エディンバラでは、ホーグマネイと呼ばれる大晦日祭で、エディンバラ城の砲声とともに花火が街を包み込みます。
中世の石造りの街が、一夜だけ祝祭都市へと姿を変えるのです。

ドイツ・ミュンヘンのオリンピック公園では、「サマーナイト・ドリーム」と呼ばれる35分間の花火ショーが開催されます。
1万発を超える花火と音楽のコラボレーションは、ドイツらしい緻密さと壮大さを備えた夏の風物詩です。
北米 ― 自由を示す炎のアーチ
アメリカ独立記念日の7月4日、ニューヨークのハドソン川やシカゴの湖畔では、夜空を覆うほどの花火が打ち上がります。
1777年以来の伝統は、ただの祭りではなく「勝ち取った自由」を思い出させる国家的儀式のようなもの。
この時期に、全米で15,000件を超える花火大会が行われます。
花火業界が年間収益の大半をこの一日に賭けるのも納得です。

カナダのナイアガラの滝では、冬の「ウィンター・フェスティバル・オブ・ライツ」が有名です。
毎年11月中旬から1月上旬まで開催されます。
週末の夜8時に花火が打ち上げられ、年末年始は連日花火を楽しめます。
轟音をあげる滝と夜空の閃光が競演する様子は、北米ならではのスケール感を体現しています。
アジア ― 祝祭の多様な表情
韓国の釜山国際花火祭りは、広安大橋と広安里ビーチを舞台に、音楽・レーザー・花火が一体化した総合演出が行われます。
世界各国から花火師が集い、毎年100万人以上の観客が夜空を見上げます。
2005年のAPECサミットを記念して始まり、今ではアジア有数の都市型花火イベントとして定着しました。

そして、日本の夏。
ここでは深入りしませんが、隅田川や大曲の花火大会は、慰霊や厄除けの意味を帯びつつ、世界の花火愛好家を惹きつけています。
詳しくは、「なぜ火薬は戦場を離れて夜空を彩るようになったのか?(日本編)〜花火がたどった千年の物語」をぜひご覧ください。
千年の空を結ぶ糸 ― 花火が映す人類の矛盾
すべては、不老不死の霊薬を求めた唐代の実験室から始まりました。
永遠の命を夢見て練られた混合物は、命を延ばすどころか爆ぜて火柱を上げ、やがて戦場を赤く染める矢や爆弾へと姿を変えます。
しかし、その同じ火薬が、フィレンツェの宮廷で夜空を飾る「美の芸術」としても咲き誇ることになりました。
火薬はいまも戦場で牙を剥きます。
しかし、その同じ火薬が夜空を彩る芸術にもなる。
私たちは破壊のための技術を美へと昇華させる力を持つ一方で、なぜ今なお争いを止められずにいるのでしょうか。
次に花火を見上げるとき、その音と光の背後にある千年の物語と、それが私たちに投げかける問いに、ほんの少し思いをはせてみてください。
夜空に描かれる一瞬の光跡は、唐代の暗い薬棚からモンゴルの草原、フィレンツェの広場、そして現代の都市の空までを静かに縫い合わせる「歴史の糸」なのですから。
参考文献・出典一覧
- Walkerplus編集部「不老不死の薬を作ろうとして大爆発!?黒色火薬を生んだ錬丹術師の“失敗”とは」Walkerplus、2018年6月14日(2025年7月25日閲覧)
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